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CAN-5-1-39 量子力学正典

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ディラック著「量子力学・原書第 4 版」岩波書店の 15 ページには、次のように書かれている。

『‘状態’ということばは体系を整えた後のある特定の時刻の状態をさして用いることもあり,また体系を整えた後の時間全部を通じての状態をさして用いることもある.これらの二つの意味を区別するためには,はっきりしないおそれのあるときは,後の意味の方を‘運動の状態’とよぶことにする.』

ディラックによって‘運動の状態’と呼ばれているものは、宇田によって‘量子歴史’と呼ばれているものの事、かもしれない。

そうだとすると、‘量子歴史’を‘量子状態’と呼ぶ事も許されるのだろう。(COM-5-2-27〜30参照)

しかし、ディラックによって‘運動の状態’と呼ばれているものは、量子力学正典§3-1[2]で扱われるような定常的な散乱状態の事かもしれない。

そうだとすると、全ての量子歴史を量子状態と呼んでも良い、わけではない事になる。

さらに、‘状態’という語の持つニュアンスが、ディラックの時代と現代とで異なっている可能性も、あるだろう。

ディラックの記述に「体系を整える」という操作への言及が含まれている事は、量子力学の解釈に対する彼の理解が実証主義的な傾向を持っている事の現れ、と見なされ得るかもしれない。

知られた特定の量子状態を作り出すためには、体系を整える事が必要かもしれないが、体系を整えなくても、その体系はいずれかの量子状態にあるはずだ、と思うのだが。

「体系を整える」という語によって、ディラックが、測定対象(整えられる体系)と測定装置(その体系を取り巻く環境)の量子状態のエンタングルメントを解く事を指し示しているならば、話は別で、その場合には、確かに、体系を整えなければ、測定対象の量子状態というものは存在しない。

量子状態の存立の前提として「体系を整える」という操作を仮定する事は、量子状態を、体系への入力とそれに対する体系の反応の関係を計算するための便方と考える、という事なのではないか?

そういう考え方は、実証主義の考え方だ。

この他に、体系が如何なる量子状態にあるかは客観的事実ではなく、量子状態は体系について我々が持っている情報を表すものである、といった考え方をする人も居ると思うが、当量子力学正典では、一応、そういった考え方や実証主義的な考え方は採用しないで、話を進める事にする。2007.8.12



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【SEOテキスト】宇田雄一,06.8.23,§2-3.変換と対称性,[0]一般論,@シュレディンガー描像で,(@)量子歴史,Rから状態空間への写像Ψsを、量子歴史と呼ぶ事にする。ただし、各t∈Rに対して、Ψs(t)は、時刻tにおける系の量子状態を表し、CAN-5-1-12-9で登場したΨs(t)の事だ。(A)量子歴史の変換,本節§2-3で考える変換とは、量子歴史を量子歴史に写す可逆写像、すなわち、定義域と値域の両方が量子歴史全体の集合であるような一対一写像の事だ。変換に対するこの見方は、能動的な見方だ。CAN-5-1-11-6,7参照。一方、特に、量子歴史の変換Tが、状態空間上の線形ユニタリ演算子W(t)を用いて,∀Ψs;∀t;|TΨs(t)>=W(t)|Ψs(t)>,と書ける場合には、変換に対する受動的な見方を採る事も可能だ。CAN-5-1-10-14参照。|e'(f;t)>≡W(t)†|e(s)(f)>と定義すれば,|TΨs(t)>=∫dnf|e(s)(f)><e'(f;t)|Ψs(t)>,と書けるからだ。つまり、e(s)によるTΨsの表示はe'によるΨsの表示に等しいので、前者を後者として解釈する事が出来る。(B)力学変数の変換,Ω'(t)≡∫dnf∫dng|e(s)(f)>×<e'(f;t)|Ω(t)|e'(g;t)><e(s)(g)|=W(t)Ω(t)W(t)†,(CAN-5-1-39-15〜19の場合のみ)