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[補足説明欄]

1〜16行目に書かれている私の思想は、宇田雄一著「古典物理学」の309ページと310ページで説明されています。
電磁場は直接確認できず電磁場の確認は質点の運動の確認にすり替えられる、と言いたいところだが、本当にそうだろうか。
確かに、なんとなく質点よりも電磁場の方がうつろな感じはする。
しかし、触覚的および視覚的根拠を持って来て、質点は可触かつ可視であるのに対して、電磁場は不可触かつ不可視だからそうなのだと言うならば、それは誤っている。
なぜなら、私たちが、身の周りの巨視的物体を見ているとき、物体を直接見ているのではなく物体で反射された光(一種の電磁場)を見ているのだし、物体に触れたとき感じる圧覚は物体を構成する質点から直接受ける力によるものではなく、その付近の電磁場によるものだからだ。・・・
こう考えてみると、私たちは質点を通して電磁場を知るのではなく、電磁場を通して質点を知っていることに成る。・・・
電磁場は学問上の虚構なのかもしれないが、それを確かめる術はないのだった。
このようなわけで、質点よりも電磁場の方がうつろだという事を誰も確認した者はいないのだ。
だから本書では、電磁場を質点の運動から定義するのを止めた。
それでも電磁場はCAN-1-1-14-9〜16に書かれている法則で定義されるのが正しいんだ、とする論法を編み出そうとするのは善い事です。
私以前の伝統の轍(わだち)が矯正されるべきなのと同様に、私の考えが伝統の轍に成るのもいけない事だからです。
以下がヒントに成るかもしれません。
宇田雄一著「古典物理学」では、論理実証主義と呼ばれる考え方を押し進めたら電磁場よりも質点の方が基礎的だとは言えないという見解に到達しましたが、例えば定義という物を先に出来た言葉で後に出来た言葉を説明する事だと理解し直すならば、CAN-1-1-14-9〜16に書かれている法則で電磁場を定義するのも正しい事に成ります。
宇田雄一著「古典物理学」は全文がウェブ上に公開されています。2021.06.30;2021.07.11,12






















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【SEOテキスト】宇田雄一,04.7.23,CAN-2-1-1〜3,電磁場の定義,××君から、第1章の内容がいきなり難し過ぎて入って行けない、と言われた。そこで僕なりに考えてみたのですが、僕の教材では電磁場とは何かが定義されずして、いきなり電磁場の記述法から説明が始まっています。この事が「いきなり難しくて分からない」という××君の反応の原因の1つではないかと思います。砂川は、電磁場の定義というものを「理論電磁気学」で行なっています。CAN-1-1-14-9〜16をもって砂川は電磁場の定義としています。電磁気学の他の教科書の著者も、そうする事が慣例となっており、例えばファインマンもそうしています。ある意味、これは伝統のわだちです。僕は電磁場を定義しません。その理由は、CAN-1-1-14-9〜16には「質点」などの未定義語が含まれているため、これをもって電磁場の定義となす事は、未定義語を使って未定義語を定義する事に当たるからです。CAN-2-1-8,普通は「マクスウェル方程式から電荷保存則が導かれる」という言い方をする。砂川もそう書いている。しかし、マクスウェル方程式をE,HあるいはFに対する微分方程式と見るならば「ρ,jが電荷保存則を満たさない場合にはマクスウェル方程式は解を持たない」と言う方が論理的に正確です。CAN-2-1-9〜10,第4章に僕が書いている法則のなかで、現象論的法則と呼べるものはクーロンの法則だけです。荷電粒子が静止していない場合には、正確にはクーロンの法則は成り立たない。