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CAN-5-1-18 |
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【SEOテキスト】宇田雄一06.6.2,CAN-5-1-18-1量子力学においては、古典力学において質点と呼ばれていた存在(たとえば電子)は、古典力学の質点概念にはそぐわないものだ、と考えられるが、このノートにおいて宇田は引き続き「質点」という語を使う。正確には、古典力学の質点概念は、量子力学においては、フェルミ粒子(フェルミオン)と呼ばれる概念に置き換えられ、フェルミ粒子は必ずhの半奇数(奇数÷2)倍のスピンを持たなくてはいけない(電子のスピンはh/2)ので、ここで考える、スピンを持たない質点、というものは、量子力学的には仮構の存在だ。しかし、スピンを持たない粒子、という言い方では、ボーズ粒子(ボソン)についての考察ではない、という点を明確に出来ない。かと言って、スピンを持たないフェルミ粒子、という言い方も、上記により、いかにもマズい。「物質粒子」という語によって、フェルミ粒子についてである事を言い表す手もあるが、フェルミ粒子の位置(演算子)は存在するが、ボーズ粒子の位置というものは存在しない、という事情に依拠して、「点」という語によって、ボーズ粒子ではなくフェルミ粒子だ、という事を表現しても良かろう、と宇田は考えている。そして何より、位置概念のように、古典論と内容が違うからと言って一々古典論とは異なる名称を用いたりはしない、という記述方針が、量子化の文脈から言って極めて合理的である、との判断が、宇田をして、古典論の質点概念に相当する量子論の概念を表すのに、同じ「質点」という語を使わしめる最大の動機である。 |
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