補足説明について
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当典には補足説明が絶対に必要です。
補足説明とは、末端の各ページの下方にある補足説明欄に記入された(る)補足説明の事です。

はっきり言って、物理学正典は補足説明が無いと読めない、です。
補足説明なしに当典を読みこなせる人は希だ、と思われます。

当典の著者は、補足説明が無ければ読めない事を率直に認め、補足説明の記入開始前に「他書より読解が容易だ」と公言した事をお詫びします。

当典の手書き部分は、2003年7月に初等力学正典が書き始められ、2008年7月までに量子力学正典までの手書き部分が書き終えられました。
その時点では私(当典の著者)は、手書き部分だけで読解可能だ、と考えており、補足説明は付加的な情報を補う為にチラホラ書くだけ、のつもりでした。

しかし、その後、末端の各ページの下方の補足説明欄に補足説明を記入し始めた時に、手書き部分だけでは当サイトを訪れた閲覧者には意味が分からなかったり誤解されたりする部分が多かろう、という事に気付きました。
したがって、当典は、2016年末時点で、熱力学正典と統計力学正典が欠けている、という点においてだけでなく、補足説明の記入が途中までしか為されていない、という点でも未完成です。

当典のライバルは、私よりも早くその事に気付き、これなら読解できないから大丈夫だ、と安心していたらしい、と私は推測しています。
その後、私による補足説明の記入が始まると、補足説明の記入が元から予定されていた事とその内容が予想以上に分かり易い事に当典のライバルが驚き困っているらしかった、と推測しています。

2016年末時点では、補足説明の記入は、初等力学正典の第3章に入って直ぐの所までしか、出来ていません。

当典を私は、従来の教科書を読みこなせない人でも読みこなせる教科書だ、と公言して来ましたが、補足説明の記入が未だ為されていない部分については、この発言を撤回しなければなりません。

量子力学正典まで手書き部分を書き終えたばかりの頃には、補足説明の記入は容易い事だ、と思われました。
その頃から手書き部分の執筆と同じテンションで補足説明を記入し続けたならば、今頃(2016年末)にはもう補足説明の記入は完了していた事でしょう。
それなのに私は、補足説明の記入なんて何時でも出来るんだから、と考えて、後でやろう、とか、片手間で少しづつやろう、と思ってしまいました。
補足説明の記入が少ししか出来ていないのは、その為です。

補足説明の記入を少しずつやったのは、長期に渡って当サイトを更新し続ける事によるSEO効果を見込んでの事でもありました。
実際、このSEO効果は顕著で、当典のライバルは私のこの戦術を非常に不都合だと感じていたらしい、と私は思っています。
良いサイトを作っても、更新しなければ、検索順位は徐々に下がって行きます。
長期に渡って少しづつでも更新を続ければ、検索順位が下がるのを防げます。
実際そうでした。

今後も、少なくとも、初等力学正典から量子力学正典までについては、全ての末端ページへの補足説明の記入を完了させたい、と思っていますが、量子力学正典の手書き部分を書き終えた2008年頃と違って、2016年末現在では、補足説明の記入を進める事が著しく困難に成ってしまいました。
その理由は以下です。
(1) 私の精神状態が悪化した。
(2) 私への集団ストーカー行為が激化した。
(3) 生活費を出してくれている父の死が近く成った。
(4) 手書き部分の内容についての記憶が年々薄れて行っている。

(1)(2)(3)については、著者について(2)を御覧ください。

私は今でも、世界の物理教育にとっての当典の必要性を確信しています。
その点、手書き部分さえ確保できていれば、補足説明は著者自身が書かなくても他の誰かが書けばよい、と考える事が普通なら可能です。
当典についても、ある程度までならそれは言えるし、結局はそれに頼る破目に陥るかもしれません。
しかし、当典に限っては、ある程度以上は著者以外の人に的確な補足説明を書く事は期待できない、という面が有ります。
その事は、2016年末までに著者自身によって既に記入されている補足説明を見れば、その内容が意外である事から、分かると思います。

という事で、当典の著者自身による補足説明の記入については、完全に放棄してしまわずに続行の可能性を温存しておきますが、長期に渡って休止されるかもしれません。2017年01月07日。

2021年06月23日に、TEC-0-1-54の補足説明欄を除いては初等力学正典の補足説明の記入が完了しました。

「等号の成立」という言い方について。
例えばTEC-0-1-3-12,13について、以下の補足説明が書かれています。
「第12,13行目の最も右の等号の成立は、CAN-1-1-1-26,27のeT=dr/dsより分かります」
正確には、等式が成立するのであって等号が成立するのではない。
だから、「等号の成立」という言い方は正確には間違っています。
しかし私は、A = B = C = D という式が有るとき、この式の最も右の等号の成立という言葉で C = D の成立を言い表しています。

「計算」という言葉について。
例えばTEC-0-1-5-22について、以下の補足説明が書かれています。
「第22行目の右の等号の成立は、第15,16行目の計算の結果を使うと、分かります」
第15,16行目の計算の結果とは、
der/dt = (dθ/dt)eθ + (dφ/dt)(sinθ)eφ
の事です。
TEC-0-1-5-15,16には、
der/dt = (dθ/dt)∂er/∂θ + (dφ/dt)∂er/∂φ = (dθ/dt)eθ + (dφ/dt)(sinθ)eφ
と書かれているので、「15,16行目の式を使うと分かります」と書いたのでは、この式のどの部分を使うのか指示できません。
式の最初辺と最後辺が等しい事を使え、と指示する為に私は「計算の結果を使う」という言い方をしています。
計算という言葉は使いたくなかったけれど、他に適当な言葉が思い浮かばないし、計算という言葉では間違いなわけでもないので、そうしています。
テレビコマーシャルで物理の先生が「計算じゃねえんだよ、数式は言葉なんだよ」と発言するのを耳にしたものですから、一応。


最終更新2021年06月24日。